兵庫県高砂市を知る

1.兵庫県高砂市の簡単なご紹介

兵庫県高砂市は人口約9万人の小さな都市。地理的には姫路市と加古川市に面している。JRでくる場合の例だが、JR姫路駅から高砂駅までは、山陽電車(正式社名:山陽電気鉄道、愛称:サンデン)に乗り換え、特急電車で約25分、各駅停車で約38分だ。料金はどちらも同じだが距離の割には少々高いと感じられる片道520円である。高砂市内にある鉄道の駅は、山陽電車の伊保駅、山陽曽根駅、荒井駅、高砂駅の4駅とJR西日本の宝殿駅、曽根駅の2つである。地図でみると、姫路市と加古川市の間に狭く細長くある感じだ。世阿弥作の謡曲「高砂」のなかで「高砂やこの浦船に帆をあげて~」とうたわれている土地としても知られている。書店やコンビニで販売されている昭文社・マップルの都市地図では兵庫県10:加古川市・高砂市 稲美・播磨町という区分となっている様に小さな都市である。この地を紹介するパンフレットには、必ず先の世阿弥作の謡曲「高砂」が紹介されている。この謡曲は、古くは結婚式の席で広く歌われ、「高砂」という名前は、めでたい名として全国的に知られている。高砂は古くは美しい景勝地としても知られており、柿本人磨をはじめ多くの歌人に和歌で詠まれている。市内では歴史を感じる建物も多く、古い街並みを見ることもできる。

★山陽電気鉄道 (山陽電車、サンデン)高砂駅の案内

 

2.高砂は物資の集積地として発展した

時代の姫路城主だった池田輝政公が1610年、加古川において舟運のために川口港を開港した。この事が高砂の発展のきっかけとなった。その後、本多忠正公が高砂の本格的な町づくりをすすめる。この事により加古川流域に各種物資が集まる様になり、物資の集積地として発展した。また、時代のニーズにより地場産業である採石や製塩、綿業などが盛んになったと言われている。

★高砂市内の歴史を感じる風景

高砂市内の歴史ある風景 堀川

 

3.好立地で多くの大企業が進出

高砂は地理的に神戸や大阪などの大都市へのアクセスが良好な位置にある。また、この地は水資源に恵まれた環境にある。加えてこの辺りの海岸は遠浅であり、埋め立てがしやすいという工場としては好条件が揃っていた。このため工場立地として多くの大手企業が進出した。高砂は播磨臨海工業地帯の中核として発展し、今日の姿となった。

現在の高砂市は、東播磨地域の中核都市として発展している。

★三菱重工業・高砂製作所 三菱日立パワーシステムズ・高砂工場

 

4.データで知る高砂市

(1)面積:約34.4㎞   (2)人口 約9万人  (3)世帯数:約39500世帯(※外国籍人口を含む)

(4)高砂市の生い立ち

   ①昭和29年高砂町、曽根町、荒井村、伊保村が合併し高砂市となる。

   ②昭和31年阿弥陀村、米田町を合併。 昭和32年北浜村を合併し現在の高砂市へ

★高砂市役所のホームページへのリンク

 

高砂市役所 所在地  〒676-8501 兵庫県高砂市荒井町千鳥1丁目1番1号                                            Tel:079-442-2101 (代表) Fax:079-442-2229(代表)
 開庁時間:月曜日~金曜日 8時30分~17時15分まで(祝日、年末年始を除く)

★高砂市のキャラクターで人気者の「ぼっくりん」

 

5.高砂の松右衛門帆(まつえもんほ)

山陽電車駅前に「駅前観光案内所ちちり」がある。ここには日本最古の頒布といわれる工楽松右衛門帆による帆布を復元した製品が販売されている。この松右衛門帆というのは、極厚の帆布で、おそらく貴方のイメージする帆布とは少々違うかもしれない。非常にタフで仕上がりは綺麗で、その風合いは素晴らしい帆布である。ぜひ一度手に取ってみてほしい。ブランドにストーリーがつきものだが、この松右衛門帆にもある。寛保3年(1743年)高砂町東宮町に工楽松右衛門は生まれた。工楽松右衛門は高砂帆布製造の始祖として知られる。工楽松右衛門は従来の帆布に改良を加えることで、今までにない極厚で広幅な帆布を織り上げた。これは松右衛門帆と呼ばれる。非常に優れた帆布であったため風力に頼っていた時代、全国の船舶の帆として使用された。工楽松右衛門の功績はほかにもあるが、その功績をたたえ高砂神社の境内には銅像がある。最古の帆布は1785年(天明五年)頃のものが現存している。高砂へ行く際はそんな歴史を感じながら展示されている商品を手にとって見て欲しい。

★松右衛門帆のホームページへのリンク 

松右衛門帆